酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

『ハーモニー』伊藤計劃


ようやく『ハーモニー』読了。
虐殺器官』に続く時系列で、脳の報酬系をつつくことで人間の行動を制御できるのではないかという考えをさらに推し進めた作品。
人間を人間たらしめているのが、動物にはなく人間だけが持つ「意識(意思)」。だが、意識は人間が進化の過程の、その場その場で獲得してきた機能を継ぎ接ぎしてできた不完全なもの。その不完全な「意識」が行動を支配している限り、人間は愛やよろこび、あるいは欲望や憎悪そして暴力と決別することはありえない。
その解決のためには、「意識」を破棄する、つまり人間が人間をやめるしかない、人間をやめることでしか人間を超えた存在になることはできない、そんな一種絶望的でもある回答を提示している。
この作品の底流にあるものは、佐藤哲也の『下りの船』に近いものに感じられる。『下りの船』は、「愛や憎悪は常に人間と共にある」ことを、惑星移民を舞台にして、ナマのままごろんと目の前に放り出されたような作品だった。「わたしたちは、こんな存在なんですよ。良い悪いではなく、ただこのように生きているのです。」とでもいうような。
『ハーモニー』は「だから、こうして解決するしかないのです。」と突きつける。
『ハーモニー』を読むことで、『下りの船』を読んだ際に感じたことも少しまとまった。近い時期にこの2冊を読んでよかった。
伊藤計劃が生きていたら、3作目はどんな作品を書いたのだろうか。

参考:前野隆司『脳はなぜ「心」を作ったのか』「心とは何か」、自分を統御する「意識」はどのような働きなのかを明かそうと試みた仮説。