酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

島尾敏雄『魚雷艇学生』

本を手に入れようと思ったら、書店に行くよりも、たいていAmazonで探すようになっている。書名や著者で検索すればおおかた欲しいものを探し当てられるし、2・3日で届けてくれる便利さには中毒性があると感じている人も多いのではないでしょうか。でも、Amazonでは欲しかったり必要だったりする、要は目的買いが中心なのだけれど、リアル書店ではなんとなく目に付いたとか、懐かしさから本を買うことがある。「本が呼んでいる」という体験。前回ちょっと触れた『翳りゆく楽園』などは、実物を見ていなければまず購入することはないだろうと思う。ですから、リアル書店には、Amazonに負けないように、ぜひがんばっていただきたい。
今週はユリイカを買いにいって、なんとなく島尾敏雄の『魚雷艇学生』を購入してきました。最近では島尾敏雄とか藤枝静雄などの年代の作家は、どのようにとらえられているのだろう。ぼくが学生だった1980年代前半は、「現代」文学と「近代」文学というくくりがあって、主に明治期から第二次大戦間に(あるいは大戦前から)活動していた作家が「近代」で、第二次大戦後の作家が「現代」だった。だから没後11年しかたっていなくても、内田百輭は「近代」のくくりだった。
今では、第二次大戦の経験のある作家は「現代」ではない、とか、あと10年も経つと、ベトナム戦争の影響を受けている作家は「現代」には含まれない、なんてことになるのだろうか。
それはさておき、島尾敏雄の作品は、自己の「体験」と自己の「感覚」とのあいだの違和感を表現していて、さらにその違和感ゆえからか、重大な体験であっても実感を持って受け取ることができない、あたかも他人事を見ているような「軽さ」をまとっているところが魅力だと思う。

・・・私の番が来た。口が重くてしばらく黙っていた。「どうした」とか「恥を知れ」「早く謝罪しろ」などという言葉が耳にはいった。「あれは残飯をもらいに行ったのではない」、私がそう言うと、「弁解するな」「盗人たけだけしい」「貴様は謝罪せんつもりか」などという非難の言葉が返ってきた。同じ班の例の学生のさげすんだ目が見えた。彼も何か言葉を投げつけていた。私はあせっていた。ようやく、「分隊に迷惑をかけて申しわけない」と言ってしまったのだ。なお「それだけか」とか「横着だ」などという言葉を聞きながら重ねて「申しわけない」とぼそぼそつぶやいて頭を下げたのだった。私は自分の考えを貫き通せなかったことにがっかりしていた。いつかもこんな場面があったっけ。(第二章 擦過傷 より)

「こんな場面があったっけ」ということで、名古屋市西区の四間道、円頓寺界隈に行ってきました(きのうですけど)。



四間道の子守地蔵尊
子守地蔵尊には百二十四震洋隊に出征した方の千社札がある。百二十四震洋隊は、鹿児島県片浦に配置され、指揮官は有田少尉、震洋5型艇26隻、基地員233名。うち戦没者は9名(または8名?)終戦直後の爆発事故によるものとのこと。名古屋に来て間もなくのころここに来て、島尾敏雄を読み直そうかと思ったことがあった。それから10年も経ってしまった。



浅間神社入り口の街灯。フォルムが美しい。中のあかりはしっかり蛍光管。




右はしの登録証は、都市ガスのものらしい。



セキレイの歩き方はホッピングではなくウォーキングなんですね。