酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

アンジェイ・ムラルチク『カティンの森』 集英社文庫




この物語は、考古学の講義場面から始まる。秦の始皇帝兵馬俑がスクリーンに映し出され、講師ヴェロニカは学生たちに疑問を提示する。

「今日、我々の追求すべきこと、それは、歴史において死が、どのようにしてその個人的な次元を失っていったか、また歴史は、個人の生きた足跡を定着する方法から、隠密裡に処理された、個人ではなく何千人もの大量死を隠蔽する手段に、なぜなりさがってしまったのか、なのです。それぞれの死は、相異なります−古代の神々に捧げられた犠牲の死と、溶岩流の海にあえなく呑み込まれたポンペイ市民の死と、あるいはまた、石棺の巨大さで無理にでも後世に名を残そうとした権力者の死とでは」

講義の終わりに、カティンの映像を映し出した彼女は、学生たちに自分がこれからカティンに向かおうとしていることを告げる。
そして、カティンに向かう列車の中、夢想と、汚れた手帳とともに浮かぶきれぎれの回想が、これから語られる物語を予告する。

本書は、アンジェイ・ワイダ監督の映画『カティンの森』の原作として執筆された。作者のアンジェイ・ムラルチクは、1930年生まれのポーランドの作家。ルポ小説や脚本も多く手掛けているとのこと。
ムラルチクは、カティン事件を描くことに苦悩があったようで、次のように語っている。

「ひとりでは、この主題を取り上げる勇気はなかったと思います。わたしは『事実の文学』から出発した人間であり、創作は現実に生きている人間の運命に忠実であるべきだと考えています。カティンについての虚構の物語を描くと考えただけで、身が震える思いでしたよ。でもそれが映画の原作となれば、別です。俳優が演じるわけですから、仮構も可能になるわけです。」(訳者あとがきより)

映画の原作となることを想定して書かれたものだからか、短いチャプターを重ねて場面を展開させテンポをつくる手法や、情景描写で視覚的に訴えて人物の心理を描いたり、また登場人物の会話で表現する部分がとてもよかった。といって、劇的にあおろうという筆致ではない。後半、おそるべき展開があるけれども、「そういう時代だったのだから、驚くにはあたらない」とでもいうように物語はすすんでいく。
登場人物たちの思いは、あくまで「真実を解き明かしたい」というもので、決して罪を罰し、復讐を遂げたいというものではない。これは、ポーランド人の国民性なのだろうか、ポーランドは、一時戒厳令の発令こそあったものの、ぎりぎりのところでソ連の介入を許さず、対話の中で民主化を達成した。それも国民性と関係があるのかもしれない、と思ったりもした。

カティンの森』を読了して聴きたくなったのがこれ。



ブラームス交響曲第4番」
クルト・ザンデルリンク指揮/ドレスデン・シュターツカペレ 1972年
ポーランドならショパンだろってはなしもあるかとは思いますが、今日感じたのは、「東側体制下の芸術の精神性」みたいなもの。いや、字面がかっこいいので書いてみたかっただけですごめんなさい、そんなにむずかしいことは考えていません。だいたいクラシック音楽についてはまったくのシロトで、スコアだって読めないので突っ込まないでください、ただ印象を書いているだけですから。
しかし、ザンデルリンクブラームス4番には、シロトのぼくが聴いても感じるなにかがあると思うのです。
ブラ4というと、ちょっとおおげさにセンチメンタルで暗くて、悲しげで、あまりよい印象を持っていませんでした。ところが、ザンデルリンクの演奏は、全然暗くも悲しげでも、おおげさでもない。しかし、悲しげではないのだけれど、演奏のずっと深いところから苦悩がつたわってくる気がする。演奏者の日常が深い苦しみや悲しみにおおわれていて、かつそれを悲観しているわけではない、人生は苦しみに満ちているけれども、そこで生きるしかないという納得、といってけっして諦念ではなく、正面から人生と向き合おうとする生き方のなかから滲み出てくる何か、があるように感じる。その何かが、戦後東ヨーロッパの体制下で生きた人びとにしか表現しえないものではないかな、と思った次第です。
カティンの森』261ページから、ポーランド国軍大佐ヤロスワフが「『東の世界』とは何か」と語る場面があります。ぼくには『カティンの森』で、もっとも印象に残った箇所です。「・・・わたしは理解した。世界は時間のカテゴリーが支配しているが、『東の世界』とは空間だ。やつらの風景のなかでは、ひとりひとりの人間は消滅し、蝋燭のように溶けてしまう。・・・」「・・・彼らの頭には、自分たちはポーランドに本当の自由をもたらしたのだろうか、というような問いは思い浮かびもしない−自分たちが奴隷なのだから。恐怖の奴隷です。恐怖こそが支配者です−理念と虚偽の全面支配の前でどのような抵抗をしても人間が救われないとすれば、人間はその家来になる。・・・」「・・・そうして、わたしも数知れぬ回数死んできた。こう言い訳をしてきた−もしなんらかの運命が私に与えられているとするなら、わたしの権利とはその運命を無条件で受け容れることだと。わたしは、哲学的に考える習慣は捨てた。その代わり、沈黙することを学んだ。沈黙もまた、ときには反抗の証になる、と考えたから・・・・・・」
Wikiによると、クルト・ザンデルリンクは1912年生まれ。母親がユダヤ人であったためドイツ国籍を剥奪され、1935年におじを頼ってソ連に亡命したとのこと。ドイツからの亡命ユダヤ人となれば、いつ粛清にあっても不思議ではない立場だったのでは。ヴェロニカは1925年生まれのようなので、ザンデルリンクは、ヴェロニカよりすこし母アンナに近い年齢となるのでしょうか。出生地は東プロイセンのアリス(アーリス)現ポーランド領オジュイシュ。ということで、なんとなく落ちがついてよかった。