酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

頭痛のち読書

今週はずいぶんと寒かった。日本中寒かったそうなので、とくに文句はいえない。ことに寒かった木曜日、コートなしで街なかを歩いていたりしたせいか、きのうから今朝にかけて頭痛、というか、左のこめかみから頬骨にかけて痛みがでたので、きょうは仕事を休ませてもらった(土曜だしね)。
と、ここまで書いたら、視界の左下のほうになんだかキラキラ光ってギザギザの楕円がでてきたぞぉ、気味わりいな、だんだん大きくなって変形してきた。右目でも左目でも見えるな。楕円から三日月(Cの字みたいな感じ)になってさらに拡大中。視神経のつなぎがうまくいっていないとかそんなのか?まあこれは置いとこう、そのうち消えるか慣れるかするだろ。
朝から普通に起きて、パン食べたりみかん食べたりして、とりあえずかぜ薬を服用したら、痛みはひいたようだ。きのう仕事の途中で書店に寄って購入した、『陽気な黙示録』(ちくま文庫)を読む。ぼくの佐藤亜紀歴はそんなに古いもんじゃなくて、佐藤哲也の『熱帯』を読んで気に入って、そこから検索してホームページを見つけてからだから、2005年くらいが読み始めだと思う。そのころ、佐藤(亜紀)氏の古い著作は手に入りにくくなっていたので、文庫で復刊するのはありがたい。
おぉ、光るギザギザが消えた。まったくもって、おっさん乙だ。ん、ついでに飛蚊症も消えたか?
冒頭から、素人だからってふざけた考え垂れ流してんじゃねぇぞ、といわれた気がするので、引用。

 東京交響楽団のコンサートで薬師丸ひろ子の朗読による『アンネの日記』を聞いている最中に覚えたのは、まさにそうした苛立ちだった。―演奏者・出演者に対する苛立ちではなく、聴衆に対する苛立ちである。おそらく彼らの大半は、ユダヤ人迫害を、遠い国で幸いにも自分たちではない人間の手で引き起され、これまた幸いなことに自分たちではない人間が犠牲になった出来事として捉えているに違いない。アンネ・フランクに共感し、その運命に涙しても、飽くまで他人事としてである。実の所、ユダヤ人の悲惨に涙を流しナチの犯罪に憤ることも、ただそれだけなら、得意げにファッションとしてナチを真似ることと大差はない。そこには何か、耐え難いくらい不誠実なものがある。(第一章 文明の衝突? ユダヤ人であること)

先日のザンデルリンクについてなんぞ、不誠実極まりないっすな。ものを考えるのは難しい。