酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

コーザ・ノストラ「LOVE THE MUSIC」

1995年の今日、阪神淡路大震災があった。
震災後だいぶ落ち着いてからだけれど、震災復興のボランティアとして、二度ばかり西宮市に行かせていただいた。全国から大勢のボランティアがやってきていたが、災害復興に大人数のボランティアが参加して作業していく、ということは、日本で初めての事態だったのではないか。現場での人の振り分けなど、組織化して管理し、作業を進行させるのは本当に大変なことだったと思う(その後の97年、ナホトカ号原油流失事故の際は、ボランティアの管理が非常にスムースになっていましたね。阪神淡路の経験が生きたのかな)。
現地では雑用含めて(というより、その時期には雑用ばっかり)作業が山盛り、どれだけ人手があっても困ることはないという様子だった。全国から続々と救援物資が送られて来ていたのだが、その割と大きな部分が「もう使っていないけれど捨てるに捨てられない、もしも人さまの役に立つなら幸い、送っときましょう」的善意によるもので、まあ、つまりは、古着と中古品がけっこうな量を占めていた。これらを整理するのが我々に与えられた役目だった。そんなことやってたのかよ、って言われるかもしれないが、毎日続々と送られてくるダンボールを、開封して中身を確認して仕分けする。誰かやらなきゃ荷物が積みあがるばかりという状況だった。
全国から送られてくる大量の荷物を整理するには、広いスペースがいる。広さといえば体育館、ということで、ぼくたちはトラックに分乗し、指示された体育館に向かった。高架が落ちてしまった阪急の先の、北のほう丘の上の体育館。そこへ向かう中途、FMラジオから流れていたのが、コーザ・ノストラのインタビューだった。すごく気にいったので、帰ってからアルバム「LOVE THE MUSIC」を即購入しました。
ここで唐突にサッカーの話題になります。この年、横浜マリノスはアルゼンチンからホルヘ・ソラリ監督を迎え、開幕から絶好調だった。ソラリ監督の采配は冴えまくり。後半30分に3人まとめて選手交代、なんとそこから逆転して勝利、なんて試合もあった気がする。当時NHKで土曜日9時からのスポーツ番組が(たしか)あり、「好調マリノスの秘密を探る」みたいな特集があった。主力選手からのインタビューがメインのコンテンツ(記憶をたどっているので、内容はかなり不正確です。ご了承ください)。一人目は、右サイド中盤の三浦文丈。「あははは。監督には、システムとしては4バックだけど、右サイドバックは置かないから、おまえ、前も後ろもがんばってくれって言われて、ええーって感じでしたけど、なんとかやっています。あはは。」(三浦文丈はどうしてフル代表で出場できなかったのだろう。底知れない運動量で、ボールと勝利に執着があり、且つゴールに貪欲なプレイヤーだったのに。)
二人目は日本のリベロ井原。「後半途中に3人同時交代ですか?「ソラリマジック」っていうより、「ソラリマジかよ」ですね。」
三人目は、ゴールキーパーで日本代表の松永(ぼくのとなりの中学出身で、同級生なんだ)。「練習は、ソラリジュニアが仕切って、最後にオヤジが出てきて、ギュッと締める感じですかねw。」このオヤジって言い草が監督の気に召さなかったのかどうなのか、放送の翌日の試合で松永はなぜかスタメンを外される。納得がいかずその理由を問いただそうとした松永は、チーム批判をしたとして即刻移籍にかけられることとなった。さらに、松永の移籍に納得しないサポーターが説明を求めると、ソラリファミリーは、あっさりスタッフともども辞任して帰国してしまった。
そんな問題を抱えながらも、横浜マリノスは1995年のJリーグファーストステージで優勝。この年のマリノスの試合は本当に楽しかった。ファーストステージを制覇した横浜マリノスの試合のダイジェストが、NHKのスポーツニュースで放映された。そのビデオのBGMがコーザ・ノストラ「LOVE THE MUSIC」の4曲目「Drive」だったのです。
ダビド・ビスコンティのドリブルから、左足で放たれたミドルシュートゴールポスト際に吸い込まれた美しさは、今も忘れられない。