sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。

『古事記を読みなおす』 著:三浦祐之/ちくま新書

だらだらと、なかなか読み終えられなかった『古事記を読みなおす』(著:三浦佑之 ちくま新書)をようやく読了。
amazon:古事記を読みなおす (ちくま新書)
本書は、NHKラジオ第2放送で放送されていた、カルチャーラジオ「古事記への招待」のテキストに大幅加筆されたもの。「カルチャーラジオ」は、各講座とも、NHKの渋谷文化センターでの講義を放送用に編集したものだったようなので、空気感みたいなものが感じられる番組だった。
古事記への招待」も、聴いていてとにかくおもしろかった。(この講座に限らず、カルチャーラジオはどれも楽しい内容だったが、今春の番組改編でずいぶん縮小されてしまったようで、ものすっごく残念。)「語り」には、発話する人の感情がこもるから、おもしろいし引きつけられるんだな。
どこを読んでもおもしろかったんだけど、とくによかったのは、終章 「古事記とはいかなる書物か」、でした。
しかし、どうもじんわりと違和感の残る読後だ。おもうに、この違和感は、本書が「古事記」を<史書>として捉え論じているところに依るのではないか。
本書では、
古事記」と「日本書紀」は、「記紀」と呼びならわされてはいるものの、同列に考えられるものではない。「日本書 紀」とは違った成立過程による<歴史書>「古事記」が太(多)家に伝えられていた。それを権威づけるため後付けで「序」が書かれた、
という考えが述べられている。
しかし、本書を読むと、「古事記」とはもともと<歴史書>ではなかったのではないか、あえてジャンル分けをするなら、<文学>だったのではないか、との感がわく。
たとえていうと、「平家物語」から歴史を読み取ることはできるけれども、「平家物語」は<歴史書>ではない(んじゃないかな)。
古事記」が「語り」によって成立した、という指摘は説得力がある。であればなおのこと、それは<史書>とは考えずに<文学>としてうけとるほうがおさまりがよいでは。