酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

土曜に近所の書店によったところ、河出道の手帖『吉田健一』が置いてあったので、買ってきていたからぱらぱら読みながら昼過ぎ。

金井美恵子を読みなおそうか、などと思いかけたが、それより、川上弘美の『真鶴』をずっと放ってあったな、とためしに読んでみた。奥付をみると「二〇〇六年十二月二十日 第二刷発行」とあるから5年前に購入したものだ。
当時は全く読み進められなかった。なんだろうか、性的なことの書き様が、なまなましい、というのとは違う、みょうに気味の悪いところがあって恐ろしかったのだ。なまなましくはないのだけれども、たしかにそういうことをするし、言うし。じぶんがかげにふせているものを、躊躇なく見せられたような怖さがあった。
あの頃から5年経って、「もう性的な体験はねぇだろうな」って、すごろくの上がりみたいな心境できもちに余裕ができたからだろう。
昼間は根気が続かないので、Amazonから届いていたクナの「RADETZKY MARCH」、DISK2を元iPhone3G、現ちょっと太めのiPodTouchに入れる。1950年ベルリンライブの「くるみ割り人形」が豪快なのに対して、ウィーン・フィルは繊細。しかしテンポはクナ。
ばんごはんはいつものように、鶏肉と野菜ときのこをトマトで煮込んだんだが、ブラジル産の鶏モモのにおいがきつかった。
いままでは感じたことがなかったので、当たり外れ、があるのかもしれない。あるいはワインがなかったから日本酒で煮込んだからだろうか?
平清盛」を観ながら飲んでいたら、何時のまにか寝てしまった。
1:22に目が覚めて、『真鶴』の続きを読んだ。
川上弘美は、構成やプロットをきちんと作ってから書くのではなく、イメージが立ち上がってくると、それに押されて書くのではないかとおもう。だから、読んでいて、なんだか詰めが甘い。
しかし、「よくみえないよくわからない、不気味、または奇妙?なもの」を書くのには、厳密さは邪魔なんだろうとおもう。
朝方に夢をみた。
ぼくのマンションで、長男と、次男と、それから、まえの奥さんがいっしょに住んでいて、長男がなんだかおかしなことを言ったので、みんなで笑っていた。