酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

『ヨーロッパ近代史』ちくま新書 君塚直隆 を読みました

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本書のカバー袖の紹介文によると

時々の時代精神を体現した八名の歩みを糸口に、激動の五〇〇年を一望のもとに描き出す。


 いまから30年ちょっと前、ゆとり教育が始まるときの小学校の歴史教科書の編集指針が、こんな感じだったという記憶がある。
 指導時間が減るために深く教えることが難しくなるぶん、読み物的な教科書とすることにより興味を喚起させ理解させる、というような説明がついていた気がするのだけれど、なにぶんずいぶんむかしのことだから思い込みかもしれない。
 それはさておき。
 本書は紹介文通り読み物としてはおもしろかったのだけれど、構成として各章の「主人公」の個人史に紙幅を割かなければならないぶん、西ヨーロッパの近代史を概観するのには物足りない、書き足りないものとなってしまった感がある。
 とはいえ、個人的な収穫があった。 本書を読んで、これまでの歴史についての認識がまったく不十分だったということに気付かされたのですな。

 そのレーニンがここに確立したものが、民主集中制一党独裁制に基づく「党国家」(パーティーステート)である。党を政府より上の存在に置き、党と国家をほぼ一体にするこの体制は、その後、中華人民共和国や(一九四九年建国)や朝鮮民主主義人民共和国(一九四八年建国)などで採用され、まさに現代における「アジア的専制」のさきがけともなった。


 そういうことだったんですか...
 スターリンとか毛沢東とかポルポトとかホーネッカーとかチャウシェスクとか、どうしてああなってしまったのかわからなかったのだが、そもそもそういう風に作られていたというわけだったのか。

※たぶん、ジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』を読んだ に続きます。