酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

『カタロニア賛歌』新城哲夫訳 ハヤカワ文庫NV を読みなおしたこと

 今年の初めは、距離計に連動しないレンズや距離計がダメになっているカメラをちょいちょい目測で使ってピンボケ写真を量産したもので、距離計持っているんだから不精すんなよな、なんて思いました。

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 たしかジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』に距離計(軍装品だから測距儀かな)が出てくることを思い出して本棚からひっぱりだして再読しました。

 

--- はるか向こうの端には小さな壕があり 、屋根が地上に出ていて小窓があった。窓から期中電灯を照らしてみたところ、われわれは思わずどっと歓声を上げた。革ケースに入った長さ一メートルあまり、直径十五センチの円筒形のものが壁に立てかけてあるではないか、こいつはどうやら機関銃の銃身だぞ。われわれはひと回りして戸口から駆けこんだ。革ケースに入ったのは機関銃ではなく、兵器の不足をかこつわが軍にとって機関銃よりずっと貴重なものだ。図抜けて大きい眼鏡照準器で、少なくとも六、七十倍の倍率があり、折畳式の三脚までついていた。そのような眼鏡照準器はわが軍のこちら側の戦線にはなかったし、喉から手が出るほどほしかった。(120ページ)

 

 「ドイツ軍 測距儀」で検索すると、 1940年代ドイツ軍の測距儀の情報が見つかる、レストアする人までいるのには感心する。スペイン内戦は1936~9年なので、オーウェルが見つけたのはもうちょっと古いモデルだろうけれど、レンジファインダーの構造はおなじだろう。三脚が付属しているとのことだから、水平の目標を測る機関銃部隊用のものかな、などと妄想してみる。

 

 それはさておき、ハヤカワ文庫NV 1984年版(もう新本の扱いはない模様)の『カタロニア賛歌』には、1943年に発表された「スペイン戦争を回顧して」が併載されている。こちらは、1942年に書かれたエッセイで、スペイン内戦がファシスト側の勝利に終わったこととナチスドイツ(に代表されるファシズム)への批判を厳しく、かつ詩的な文章で書いている。

 本に挟まっていたレシートを見ると2002年11月に購入しているのだけれども、読みなおしてみると、当時は文字を追っていただけでぜんぜん中身を読んでいなかったようだ。

 例えば、1930年代後半ナチスに対してイギリスが宥和政策をとったことについて、知識としては知っているつもりだったが、その背景についてはたいして考えたことがなかった。

 

---前大戦の組織だった嘘の代償の一部として支払われたのは、戦後に生じた過大な親独感情であった。一九一八-三三年の期間中に、ドイツにも戦争責任の一斑があると発言しようものなら、左翼陣営から野次りたおされたにちがいない。その間、私はヴェルサイユ条約非難の声をさんざん聞かされたが「もしドイツが勝ってたら、どうなっていたろうか」といったような反問はついぞ耳にしたことがなかったように思う、論議することはむろん、あえて口にすることも。---(296ページ)

 

 また、ナチスの強制労働についても言及していて、

 

 たとえば奴隷制度の復活を考えてみよう。二十年前、ヨーロッパに奴隷制度がもどってくると想像しえた者がいただろうか。そう、奴隷制度はわれわれの目と鼻の先で復活したのである。ヨーロッパや北アフリカの至るところで強制労働収容所が建てられ、ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、そしてあらゆる人種の政治犯がわずかな配給食を得るために道路建設干拓事業で汗水をたらしている。それは奴隷制度としかいいようがない。(中略)全体主義的な支配がつづく限り、こうした事態が変わると考えられる理由はどこにもない。---(308ページ)

 

このへんは佐藤亜紀の『スウィングしなけりゃ意味がない』 にも詳しい。

 ともかく、スペイン内戦(スペイン戦争)はイギリス・ドイツ・イタリア・ソ連各国の思惑に振り回された奇妙な戦争だったようだ。

 

---しかしとにかく、スペイン市民戦争は、ナチスが自分のやっていることをよく承知していたのに対し、反対側はわかっていなかったことを証明したのである。戦争は技術的に低いレベルで闘われ、その主たる戦略は単純なものであった。装備のいいほうが勝つに決まっていた戦争である。ナチスとイタリアはスペイン・ファシストの盟友に武器を提供したが、西ヨーロッパ民主主義諸国とソビエトは盟友である人々に武器を供給しなかった。かくてスペイン共和国は滅亡したのだった、「いかなる共和国も逃れえなかったものを甘受して」。(314ページ)