酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』を文庫版で再読

 単行本で読んだときにはあまりよくわからなかった。そもそもジャズは好きではないし、登場するアーティストでCDを持っているのはジャンゴ・ラインハルトしかないしで「手が合わなかったな」という読後感で終わっていた。

 文庫化にあたっても、初読がそんな印象だったのですぐには購入しなかったのだけれど、解説に期待で11月に買ってみた。まぁなんていうか、ファンクラブの会報みたいな解説なので(あんまりひどいこというなよ)あれなのだが、作品についてはまったくちがう読み方ができたのでつらつら纏めてみたい。

 青春小説も音楽小説もいくらでもあるわけで、パーティーで騒いだりトイレで彼女と事におよんだり、ナチス政権下だからゲシュタポに捕まって灰皿で殴られたりするのが書かれているからなんだというのか。ハンブルク大空襲はもちろん悲劇だが、ドレスデンも焼かれたし、日本中至るところが焼かれたし、今でもシリアではアサド政権やロシア軍が市民の上に爆弾を落としている。

 なぜ主人公は、「第二次大戦下ハンブルクのベアリング工場の反抗的な息子」なのか。

 夏から秋にかけて(ことしは秋はなかったけど)、岩波新書の『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』大木毅を読んだところだった。新書という限られた紙幅の中で、戦争の背景から経緯、ナチスの思想・政策とドイツ国民との関係そのほかわかりやすくまとめられている一冊で、『スウィング』を読むうえでも参考になった。

(前略)ナチ体制は、人種主義などを前面に打ち出し、現実にあった社会的対立を糊塗して、ドイツ人であるだけで他民族に優越しているとのフィクションにより、国民の統合をはかった。しかも、この仮構は軍備拡張と並行して実行された、高い生活水準の保証と社会的勢威の上昇の可能性で裏打ちされていた。(中略)

 とはいえ、ドイツ一国の限られたリソースでは、利によって国民の支持を保つ政策が行き詰まることはいうまでもない。しかし。一九三〇年代前半から第二次世界大戦前半の拡張政策の結果、併合・占領された国々からの〔資源、食料、そして労働力の〕収奪が、ドイツ国民であるがゆえの特権維持を可能とした。換言すれば、ドイツ国民は、ナチ政権の「共犯者」だったのである。(後略) 『独ソ戦』P211から212(〔〕内酔禿) 

  酔禿って字面がいいな。どう読むんだろう、まだはげてないよ。うすいけどね。

 主人公のエディは、会社を守らねばならない父親によりゲシュタポに売られ、ベルゲルドルフ鑑別所に送られる。そしてノイエンガンメ収容所の収容者とともに強制労働に就く。

ぼくたちは雨の中を小一時間かけて歩いていく。スコップを積んだ小型トラックに先導されて畑の真ん中を突っ切ると現場が見えて来る。ばかでかい溝。両側は二段に分かれた斜堤。底に敷かれたレールをトロッコが走る。斜堤にへばり付くようにして何かがうごめいている。人であることは、縁に行くまでわからない。泥の色をした人。雨と泥とで着ている薄っぺらな服が張り付いて裸のように見える。肋まで浮き上がって見える。腹はもっと窪んでいる。手も足も骨の形がそのまま見えそうだ。泥の染みた衣類と同じ色になった裸の首には筋しかない。顎骨の形そのままに浮かび上がった顎が、首の前に下がっている。虚ろな表情のない顔は誰も彼も、ぼくには同じに見える。  (P224) 

 ぼくたちは溝の底で、収容者と一緒に溝の壁を掘る。砂と泥混じりの水を含んだ土はすさまじく重い。トロッコがやってくる。溜まった土を放り込む。へばって、トロッコが行ってしまうと坐り込みそうになる。トロッコの後ろには人が張り付いている。監視兵が、急げ、急げ、と言いながら棍棒を振り回す。時々殴る。鑑別所で看守が持っているようなゴムの棍棒じゃない。嫌な音がする。肉と骨を重い木の棒で殴る音。急げ、急げ。  

(中略)

 昼飯は抜きだ。また壁に戻る。スコップを持って掘る。隣にいた、やせ細って、かろうじて動いていただけ、みたいな奴が壁に倒れかかる。監視兵が飛んで来て、棍棒で殴る。

 人が殺されるのを見たのは、それが初めてだ。 (P225)

(前略)三日目、ぼくは一人だけになっている。晴れると土埃がすごい。ばりばりに乾いた収容者の服には縞模様が浮かび上がり、胸に付けたワッペンの見分けも付くようになる。政治犯と反社会的分子の末路なんて嘘じゃないか。ロシア人。ポーランド人。どこから連れてきたのか知らないけど外国人がほとんど。看守に上から見下ろされながら、ぼくは干からびて固まった泥を延々と掘る。トロッコを押す。死体を運ぶ。(中略)

 

 なあ、これ金の話だっただろ。たっぷり安価に提供される労働力。それをどんどん殺したら意味ないだろ。  (P227)

 

  親衛隊が管理する強制収容所の収容者を、労働力として企業(あるいは自治体など?)にレンタルして利益を得るという構図であるので、収容者は貴重な商品であるはずなのだが、それを消耗品として再生可能でも再生せずに積極的に破棄していく。道理に合わないはなしである。

 これに関して、ティモシー・スナイダーの『ブラックアース』第1章「生存圏」が参考となった。 ヒトラーにとって、ドイツ東方のドイツ民族にとっての「生存圏(レーベンスラウム)」に居住するスラブ民族は、「〔アメリカインディアンのように〕殲滅するか、ヴォルガ川の向こうに追いやるか、〔黒人奴隷のように〕奴隷として使役するか」、のいずれかに該当するものだと規定されたようだ。(〔〕内酔禿)

 「スラブ人は、ご主人様をどうしても必要とする奴隷の集団として生まれている」とヒトラーは記した。 (『ブラックアース』上巻P33)

 ヒトラーはまた、第一次世界大戦以前の西アフリカにおけるドイツの植民地と、その地の住民に対する政策(虐殺といってよいだろうか)を念頭に

(前略)ヒトラーは帝国の歴史すべてと人種主義全体を圧縮してごく短い定式に変えた。「我々にとってのミシシッピ川ヴォルガ川でなければならない。ニジェール川ではないのだ」。(中略)ヨーロッパの東の縁にあたるヴォルガ川が、ヒトラーの想像では、ドイツ国家の範囲であった。ミシシッピ川は、アメリカ合衆国の真ん中を南北に走る川というだけではなかった。トマス・ジェファーソンがすべてのインディアンをその先に追いやろうとした線引きでもあった。  (『ブラックアース』上巻P36)

 

 と記しているようである(孫引きなんですいません)。

  鑑別所の刑期中の労働で足を病み、刑期を終えて帰還したエディは、父親の会社に勤めることになる。傷めた足指のため従軍することはできなくなった。

(以下次回です)