酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

メルヴィル『白鯨』その2 棕櫚と椰子_2

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 前回から3週間ちかく空いてしまった。

 前回は「palm」の訳語が、社会においてヤシが植物として一般に認知されるのに伴って、棕櫚から椰子へと変わったのでは、ということを書いた(そんな大げさな話じゃないんだが)。ところが、いちばんあたらしい現行の岩波文庫版に、「palm」をあえて「棕櫚」と訳しているところがあるんだよね、そこんところを考えたい、としてとりあえず終えたわけです。

 ということでその理由を徒然に考えていたのだけれど、残念ながらどうも納得のいく回答を見つけられなかった。とりあえず、各訳文を比較してみよう。

(引用した翻訳は前回同様 ①:旧岩波文庫阿部訳 ②:新潮文庫田中訳(1977年版) ③:角川文庫富田訳 ④:講談社文芸文庫千石訳 ⑤現岩波文庫八木訳 の順)

 

当該箇所は CHAPTER 135. The Chase.—Third Day. の前半にある部分。

 いよいよ白鯨と遭遇し闘っての3日目、目指す鯨をを見失ったかと思われた日の朝から昼ちかく、檣頭に登ったエイハブはついに白鯨の潮吹きを発見する。その直後、マスト上でのエイハブの独白の場面。白鯨への憎しみと怒りによって突き動かされてきたエイハブが、故郷ナンタケットを思い起こし穏やかに語るのは、この部分と、すこし前の第132章「The Symphony.」の2か所(たぶん)である。

 まず原文(今回からは「プロジェクト・グーテンベルク」の「MOBY-DICK; or, THE WHALE」

https://www.gutenberg.org/cache/epub/2701/pg2701-images.html#link2HCH0135

からのコピーです)。

--An old, old sight, and yet somehow so young; aye, and not changed a wink since I first saw it, a boy, from the sand-hills of Nantucket! The same!—the same!—the same to Noah as to me. There’s a soft shower to leeward. Such lovely leewardings! They must lead somewhere—to something else than common land, more palmy than the palms.--

 

--古い古い眺め、しかし何となしに若々しい。そうだ、わしが子供のころナンタケットの砂丘からはじめて見たときと、これっぽちも変わっておらない。同じだ—同じだ!ノアにもわしにも同じだ。風下はちょっと夕立しておるな。じつに優雅な風下のあたり。それはどこか―世の常でない熱帯樹林よりもさらに香わしい地に、みちびくにちがいない。--

 

--古い古い景色ながら、しかもどことなく若々しい。そうよ、子供のおれがはじめてナンタケットの砂丘の上から見たときと、寸分の異(ちが)いもないわ。同じじゃ!―同じじゃ!―ノアの見た海も同じじゃ。風下に軽い驟雨(しゅうう)があるな。ああ美しい風の流れ!これがどこかへ―ただの陸地とはちがうところへ、棕櫚(しゅろ)の島よりも天産ゆたかな何処(いずこ)かへ、連れてゆかぬはずはないわ。--

 

--古い古い景色だが、またなんとのう若々しくもある。そうじゃ、子供の時ナンタケットの砂丘から、はじめて見たのとちっとも変りがない!同じだ!―同じだ!—わしにだけでなく昔ノアにも同じだったのだ。風下におだやかな俄雨(にわかあめ)があるな。風下というものは、こんなにも美しいものか!その果てはどこかの―ありふれた陸地ではない別天地へ、棕櫚(しゅろ)の木よりもしげく樹木の成長した森へつづいているにちがいない。--

 

--おお、ふるさびた、遠い昔の眺め、だが、なぜか真新しい眺めでもある。おお、これはおれが子供のときナンタケットの砂丘に立って初めて見た海と寸分も違わぬ海ではないか!同じだ、まったく同じ海だ!ノアが見た海もこの海なのだ。お、風下にやわらかな驟雨が渡って行くか。風下は、何とうるわしくも風が吹き行くことだろう!風吹くところのものを追って行けば、どこか普通の地ならざる、椰子の木の生えたうるわしき地よりもさらにうるわしき地へと導かれて行くはず。--

 

--なつかしい眺めだ。それでいて、どこか新鮮な眺めだ。すこしも変わっていない—少年のころ、ナンターケットの砂丘のうえから見た眺めと。おなじだ!―まったくおなじだ!—ノアが見た海も、これとまったくおなじ海だったのだ。風下に小雨(こさめ)がふってるようだな。なんとうるわしい風下の眺めであることか!あの先には何かが―並の陸地ではない、棕櫚(しゅろ)よりもなお棕櫚めいたかぐわしい栄光の岸辺があるにちがいない。--

※それぞれカッコ内はルビ

 

palm」の訳語として

 ①は、ピークォド号が現在赤道近くを航行していることから「熱帯樹林」と訳したのではないか。

 ②③④は、前回考えたように時代の文脈から「棕櫚」「椰子」と異なる語に訳されていると思われる。

 問題は⑤で、はじめに記したように、最新の訳であるにもかかわらず、なぜあえて「棕櫚」という語を選んだのだろうか?以下、覚書程度に考えてみた。

 

a:エイハブの視線の先に見えていたのは、故郷ナンタケットの幻である

 このときのピークォド号はどの方向に向かっていたか。2日目の夜、白鯨を追って帆走するうちに白鯨を追い抜いてしまった、と気づいたエイハブの指示により、3日目の朝、順風で進んでいたそれまでとは逆方向に進路を転換、貿易風に逆らって西向き(風上)に進んでいる。それまでの進路を変えなければ、向かっていた方向は東南東。風下に向けて順風で進んでいけば、ホーン岬を回って大西洋に入りナンタケットに帰り着くことができる。エイハブの見た「風下の眺め」「棕櫚よりもなお棕櫚めいたかぐわしい岸辺」とは故郷ナンタケットのことだった、のではないか。「ナンターケットの砂丘のうえから見た眺め」に連なる景色が見えたのだ、と。

 そこで、なぜナンタケットに生えるのが「椰子」ではなく「棕櫚」なのか?その理由として、ナンタケットの気候を見てみるのはどうだろう。ナンタケット島の緯度はだいたい北緯41.1度。日本でいうと弘前半島くらいにあたり、冬期の最低気温は、1月:-5℃、2月:-4℃、3月:-1℃、12月:-2℃(Google)。12月から2~3月にかけては積雪もあるようだ。これはヤシが自生するには厳しい気候だろう。しかし、前回コメントにてけふおさんいうところの「豪雪地帯」でも「元気に伸び」る棕櫚ならば、ナンタケットに自生していても不思議ではない、だからこそ「棕櫚」なのだ。

 われながらむりやり感ひどい。

 

b:聖書に書かれた「しゅろ」に基づいた何らかの象徴だろうか?

 iPhoneの『対訳聖書』(日本語訳部分は『口語訳聖書』)を「しゅろ」で検索すると、旧約・新約あわせ(数え違いでなければ)25か所あった。聖書に関する知識は皆無なので、余計なことを書くのはやめておいた方がいいと思う。

 でもまあこの際なのであえてなにか拾ってみると、『申命記』34:3に「しゅろの町エリコ」という部分がある。エリコの町は、『ヨシュア記』のエリコの戦いで、ヨシュアと率いられたイスラエルにより(ラハブとそれに属するものを除いて)すべて滅ぼされたという。

ヨシュア記』6:21「そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。」

 『白鯨』原文の「somewhere—to something else than common land, more palmy than the palms.」とは、幸福の待つ地のように思えるのだが…。風下の先にある「棕櫚よりもなお棕櫚めいたかぐわしい栄光の岸辺」をエリコの暗喩と解釈できるだろうか?

 先の引用部に続く独白で、エイハブはその地(風下)へ向かうことを拒否し、風上へ、白鯨との最後の戦いへと臨む。「風下か!それは白鯨がゆく方向だ。では、風上を見てみるか。それは苦労も多かろうが、幸せもおおからん方角だ。(八木訳)」

 a でも書いたように、エイハブは船を風上に向けて進めさせるのだが、白鯨との戦いのなかで、ピークォド号は風下に方向転換することを余儀なくされる。

--死体を背負ったままずらかるつもりか、はたまたさきほど遭遇戦があった場所など、風下への旅の宿(しゅく)のひとつにすぎぬと心得ているのか、モービィ・ディックはまたしても悠然と風下への旅をつづけ、すでに本船のそばを通過していた—船はそれまでのところ鯨とは正反対の方向にすすんできて、先刻からそこに停船していたのである。--  (八木訳岩波文庫 下巻393ページ)

 

ここにおいて、エイハブのボートは進行方向を変え、本船ピークォド号にも操船の指示を出す。

 立つ風に帆を張り、一艘だけになったエイハブのボートは、帆とオールの助けをかりて、風下にむかってたちまち疾走をはじめ、ほどなく本船のそばを駆けぬけようとしたが、それがあまりにも近距離だったので、本船の手摺(てすり)から体を乗りだしていたスターバックの顔がはっきりと見えるほどで、通りすぎざま、エイハブはスターバックに声をかけ、船を反転させ、速すぎず遅すぎずの速度で、適度な間隔をたもって自分のボートについてくるよう命じた。--  (八木訳岩波文庫 下巻393-394ページ)

 

 風上に、「幸せもおおからん方角」に進んでいた船は、白鯨によって再び風下へと進路を向けさせられた。その行先はナンタケットではなく「しゅろの町エリコ」だったのか。エリコがことごとく滅ぼされたように、ピークォド号とそのの乗組みも、イシュメエルを除いてすべて船とともに海に沈む。

 むりやり感いよいよひどい。

 

 岩波現行版の八木訳には多くの注が付されているのだが、この部分には特に注釈がない。八木訳で「棕櫚」という語が選ばれた理由は実際のところなぜだったのだろう。

 

 ところで、棕櫚がなんだ椰子がどうした、などは置いておいて「palm」が使われた理由を原文から考えてみると、「palm」の形容詞形「palmy」に「<時代などが>繁栄した」(ウィズダム英和辞典)という意味がある。太平洋の赤道直下の気候に乗っかってエイハブ(メルヴィル)が「ヤシの生える島がたくさんある太平洋ならprosperousよりもpalmyがふさわしいだろ」って乗りで「prosperous」ではなく「palm-palmy」と書いたんだったりして。

 

 『白鯨』、風にかかわる記述を中心に検討すると、またおもしろく読めそうです、帆船だから風が重要でいろいろなことを風から読み取るわけですね。だれかなにか書いてないでしょうか。

 『白鯨』ネタはあと2回の予定ですが、果たしてちゃんと書けるのでしょうか。次回はエイハブの最期、原文と各翻訳を比較するはなしです。