酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

超広角15mmがじつに手強かった件

 昨年暮れに黒色中国さんの

世界最高の「フルサイズミラーレスカメラ」を買いました! - 黒色中国BLOG

を読んで、ベッサL良さそうだなぁと思っていたところ、年明けにヤフオクでほとんど使用感のない、銀のベッサL+スーパーワイドヘリアー15mm+ケース(3点とも元箱付き)が出品されていてためしにスタート価格で入札してみたらそのまま競合なしで落札してしまった。

 なかなか使いどころが見つからず持ち出せなかったのだけれども、ようやくこの連休で試写して見ました。ものの、超広角15mmを舐めていましたね、難しいかったです。

 おまけにフィルムのローディングに失敗して、一部コマかぶりが発生という惨憺たる結果となりました。

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西本願寺名古屋別院

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日置神社

 広い、ひろすぎる...

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東本願寺名古屋別院

 上下の写真を比較すると、すこしでもあおったらダメだってことですね。画面中央に地平線を置けば、歪まないレンズだということか。

 西別院と比較して東別院が広大なのは、名古屋は尾張徳川家の所領だったからなんでしょうか。

 以上は4/28に撮ったもの、以下5/4に新栄から鶴舞あたり。

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 縦位置だとほとんど頭の上が撮れる。

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 ゆびかなんかはいってるし

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 旧車のレストアをしているくるまやさんらしい。

 露出計の精度はあっているようだ(慰)。

『イタリアン・シューズ』ヘニング・マンケル 柳沢由美子:訳 東京創元社

 過去の医療事故から外科医を引退し、祖父から譲り受けた島のサマーハウスにこもって12年となる主人公は66歳。そこに37年前に捨てた恋人が訪れ、かつての約束を果たせと迫る。

 刑事ヴァランダーシリーズの著者、ヘニング・マンケルの新刊なのでミステリのノン・シリーズかと思ったのだがそうではなくて恋愛小説だった。

 主人公の内省的な描写が中心だった序盤を経て、中盤から一気に展開する構成はさすがミステリ畑出身だと感じいった。

 雪に閉ざされた湖を訪れてアクシデントに見舞われる部分は、村上春樹の影響があるのでは?主人公の不安や恐れを自然や風土に仮託してあらわし、そこに飲み込まれかけるものの生還する、というのは村上春樹の得意な表現じゃなかったっけ、と思ったけれども、なにせ村上作品を読まなくなって20数年経つので勘違いかもしれない。

 北欧人の心性なのか、ヘニング・マンケル独特の表現なのかはわからないが、感情表現が濃厚で、人間関係が深く濃い。そのぶん怒りは激しく喜びは大きい。作中の人物が唐突に怒り出すところは、ちょっと理解しがたい。またその怒りかたが尋常ではない。それがスウェーデン人と日本人の違いなのか、それとも人やものごとについて怒ってもなにも変わらないので怒ることをほとんどやめてしまった、あきらめてしまったじぶんの問題なのかはよくわからない。

 決定的に見える衝突があっても、関係を再構築する糸口があるのはヨーロッパ的なんだろうか。

 この辺りはヴァランダーシリーズの親子関係でも感じたところである。 

 

過去からの突然の訪問はない

残された孤島などはない 住宅ローンがある

いかなる失策をしても退職はできない 謝罪して勤める

 

 還暦近くなって「ぼく」なんて言ってるほうがどうかと思うよね。

 

『カタロニア賛歌』新城哲夫訳 ハヤカワ文庫NV を読みなおしたこと

 今年の初めは、距離計に連動しないレンズや距離計がダメになっているカメラをちょいちょい目測で使ってピンボケ写真を量産したもので、距離計持っているんだから不精すんなよな、なんて思いました。

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 たしかジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』に距離計(軍装品だから測距儀かな)が出てくることを思い出して本棚からひっぱりだして再読しました。

 

--- はるか向こうの端には小さな壕があり 、屋根が地上に出ていて小窓があった。窓から期中電灯を照らしてみたところ、われわれは思わずどっと歓声を上げた。革ケースに入った長さ一メートルあまり、直径十五センチの円筒形のものが壁に立てかけてあるではないか、こいつはどうやら機関銃の銃身だぞ。われわれはひと回りして戸口から駆けこんだ。革ケースに入ったのは機関銃ではなく、兵器の不足をかこつわが軍にとって機関銃よりずっと貴重なものだ。図抜けて大きい眼鏡照準器で、少なくとも六、七十倍の倍率があり、折畳式の三脚までついていた。そのような眼鏡照準器はわが軍のこちら側の戦線にはなかったし、喉から手が出るほどほしかった。(120ページ)

 

 「ドイツ軍 測距儀」で検索すると、 1940年代ドイツ軍の測距儀の情報が見つかる、レストアする人までいるのには感心する。スペイン内戦は1936~9年なので、オーウェルが見つけたのはもうちょっと古いモデルだろうけれど、レンジファインダーの構造はおなじだろう。三脚が付属しているとのことだから、水平の目標を測る機関銃部隊用のものかな、などと妄想してみる。

 

 それはさておき、ハヤカワ文庫NV 1984年版(もう新本の扱いはない模様)の『カタロニア賛歌』には、1943年に発表された「スペイン戦争を回顧して」が併載されている。こちらは、1942年に書かれたエッセイで、スペイン内戦がファシスト側の勝利に終わったこととナチスドイツ(に代表されるファシズム)への批判を厳しく、かつ詩的な文章で書いている。

 本に挟まっていたレシートを見ると2002年11月に購入しているのだけれども、読みなおしてみると、当時は文字を追っていただけでぜんぜん中身を読んでいなかったようだ。

 例えば、1930年代後半ナチスに対してイギリスが宥和政策をとったことについて、知識としては知っているつもりだったが、その背景についてはたいして考えたことがなかった。

 

---前大戦の組織だった嘘の代償の一部として支払われたのは、戦後に生じた過大な親独感情であった。一九一八-三三年の期間中に、ドイツにも戦争責任の一斑があると発言しようものなら、左翼陣営から野次りたおされたにちがいない。その間、私はヴェルサイユ条約非難の声をさんざん聞かされたが「もしドイツが勝ってたら、どうなっていたろうか」といったような反問はついぞ耳にしたことがなかったように思う、論議することはむろん、あえて口にすることも。---(296ページ)

 

 また、ナチスの強制労働についても言及していて、

 

 たとえば奴隷制度の復活を考えてみよう。二十年前、ヨーロッパに奴隷制度がもどってくると想像しえた者がいただろうか。そう、奴隷制度はわれわれの目と鼻の先で復活したのである。ヨーロッパや北アフリカの至るところで強制労働収容所が建てられ、ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、そしてあらゆる人種の政治犯がわずかな配給食を得るために道路建設干拓事業で汗水をたらしている。それは奴隷制度としかいいようがない。(中略)全体主義的な支配がつづく限り、こうした事態が変わると考えられる理由はどこにもない。---(308ページ)

 

このへんは佐藤亜紀の『スウィングしなけりゃ意味がない』 にも詳しい。

 ともかく、スペイン内戦(スペイン戦争)はイギリス・ドイツ・イタリア・ソ連各国の思惑に振り回された奇妙な戦争だったようだ。

 

---しかしとにかく、スペイン市民戦争は、ナチスが自分のやっていることをよく承知していたのに対し、反対側はわかっていなかったことを証明したのである。戦争は技術的に低いレベルで闘われ、その主たる戦略は単純なものであった。装備のいいほうが勝つに決まっていた戦争である。ナチスとイタリアはスペイン・ファシストの盟友に武器を提供したが、西ヨーロッパ民主主義諸国とソビエトは盟友である人々に武器を供給しなかった。かくてスペイン共和国は滅亡したのだった、「いかなる共和国も逃れえなかったものを甘受して」。(314ページ)

 

ミルクパンGOGO

 昨日4/28は、前半の4連休の初日で(5/2は出勤日)起き抜けはぼーっとしていたのだけれど、東別院の朝市の日なのを思い出して調べてみたところ年1回の規模を拡大した「名古屋寺町てづくり縁市」だそうだったので、今年初めに入手したカメラとレンズの試写を兼ねて行ってきました。

 西別院では講話があったり、東別院ではいちど食べてみたいゾウメシさんの屋台が大行列だったりしましたが、人の多い場所は得意ではないので9枚しか撮影できず。フィルムを現像に出すのは撮りきってからなので、中間報告です 。

 印象深かったのは、その場に居合わせた人がみんな幸せそうな表情をしていたことです。ツイッターのタイムラインとかはいつもなかなかに荒んでいるので新鮮な感覚でした。

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 写真はあまり撮れなかったけれども、ここのところ探していたちっこいサイズのミルクパンを発見・購入しました。琺瑯製で持ち手は螺子になっていてとりはずせるそうだ。

 これがあればケプリのチャイ用牛乳をあたためるのにぴったりだゼ!

 連休前にケプリのカレーを頼みわすれたのでしばらくはチャイだけで我慢だな。

P.ANGENIEUX PARIS F.28 1:3,5 R11 & α7 でご近所を散歩

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 関西線をくぐって中村区方面に。

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 名古屋名物、富士山すべり台に初めて登りました。白い部分はかなりなめらかですべりやすいですね。







『ヨーロッパ近代史』ちくま新書 君塚直隆 を読みました

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本書のカバー袖の紹介文によると

時々の時代精神を体現した八名の歩みを糸口に、激動の五〇〇年を一望のもとに描き出す。


 いまから30年ちょっと前、ゆとり教育が始まるときの小学校の歴史教科書の編集指針が、こんな感じだったという記憶がある。
 指導時間が減るために深く教えることが難しくなるぶん、読み物的な教科書とすることにより興味を喚起させ理解させる、というような説明がついていた気がするのだけれど、なにぶんずいぶんむかしのことだから思い込みかもしれない。
 それはさておき。
 本書は紹介文通り読み物としてはおもしろかったのだけれど、構成として各章の「主人公」の個人史に紙幅を割かなければならないぶん、西ヨーロッパの近代史を概観するのには物足りない、書き足りないものとなってしまった感がある。
 とはいえ、個人的な収穫があった。 本書を読んで、これまでの歴史についての認識がまったく不十分だったということに気付かされたのですな。

 そのレーニンがここに確立したものが、民主集中制一党独裁制に基づく「党国家」(パーティーステート)である。党を政府より上の存在に置き、党と国家をほぼ一体にするこの体制は、その後、中華人民共和国や(一九四九年建国)や朝鮮民主主義人民共和国(一九四八年建国)などで採用され、まさに現代における「アジア的専制」のさきがけともなった。


 そういうことだったんですか...
 スターリンとか毛沢東とかポルポトとかホーネッカーとかチャウシェスクとか、どうしてああなってしまったのかわからなかったのだが、そもそもそういう風に作られていたというわけだったのか。

※たぶん、ジョージ・オーウェルの『カタロニア賛歌』を読んだ に続きます。