酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

佐藤亜紀『黄金列車』の「暗い日曜日」(ネタバレあります)

https://www.youtube.com/watch?v=Z2PI7fSZeSE

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  おもしろかったですね、佐藤先生が降臨するというサプライズ。佐藤先生がカトリックを信仰しているというのは知りませんでした。。カトリック、むかしは「旧教」といったものですが。プロテスタントは「新教」イスラムは「回教」、ムハンマドと呼ばず「マホメット」と表記されていたころもありました。聖書精読はしておくべきだろうか

 それはさておき、表題についてのはなしは出そうで出なかった。ぼくが『黄金列車』を読んでいちばんやられたなと感じたのは、「暗い日曜日」のあつかいです。

 戦間期ハンガリーを起点とする小説で、自殺が重要なモチーフのひとつである『黄金列車』という作品であれば、「暗い日曜日」を避けて通るのはあまりに不自然なわけですけれど、本作ではそれをほのめかしながら巧妙に避けて進行していく。

 薔薇のことを、バログは考える。三十本くらいはあっただろうか。灯りのない食堂のテーブルの上、いつものように二人分の食器を差し向いに置いた脇に白い薔薇が生けられて、締め切った窓から漏れる夏の夕の薄明りに浮かんでいる。台所のコンロの上ではスープの鍋が冷えている。   22ページ 

  (本稿とは関係がないのですが、一昨日キムチ鍋をガスコンロにかけたまま眠ってしまい鍋の中身が炭化して弊マンションの室内は極めて炭くさい状態になっています。)

 佐藤先生は作品の出だしでにおいて、自殺=「暗い日曜日」をほのめかすのですが、この後おくびにも出しません。

 「暗い日曜日」が実際に提示されるのは、本作品の最終盤であり、しかも「1945年4月25日」に「指揮系統から外れてしまった武装親衛隊」の「バルカン半島少数民族が多く住むヴォイヴォディナ)出身」の「士官(ぜんぜん士官らしくないけれど、人材不足だったのだろう)」が「耳コピハンガリー語で」「酔っぱらって歌う」(しかも曲名は明示しない)というひねりにひねりにひねりにひねった(やかましい)場面です。こんなキレキレのプロットに読者はどう対抗すればよいのだろうか。

Miranda Soligor 5cm 1:1.9(実はコーワプロミナーらしい) & a7

 ぼくは静岡県浜松市で生まれて17歳まで過ごしたあと、京都市山科区小山谷田町で1年過ごして大学に入学してからは川崎市多摩区登戸で4年、そのあと就職して世田谷区の豪徳寺界隈にちょっと住んだあと板橋区志村3丁目に1年くらい住んで、意を決して岐阜県関市に移って10年住んだわけです。

 いろいろあって岐阜県関市のあと名古屋に来て22年になるわけで、名古屋に住んでいる期間がもっとも長いのです。

 そうであれば名古屋の企業であるコーワが作ったプロミナーについて言及せざるをえない。

 しかし、コーワのレンズはなかなか見つからないんですが、ミランダのレンズのうち、シリアルにKが入っているレンズはコーワ製らしいです。

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手とつめががしわしわです。

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佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』を文庫版で再読 その2

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 強制労働に従事させられたエディは、容赦なく廃棄される収容者を見て、「お前」という概念を得る。

 

 お前、は別に女の事じゃない。アディのことでも高い口紅の子のことでもない。マックスの婆さんを死なせベーレンス兄弟をUボートさせたもの。アディをラーフェンスブリュック送りにし、僕をここにぶち込んだもの。あの溝を死んでいく人間に掘らせているもの。お前のことだけを考える。出ても入っても、娑婆でもムショでも、アルスター・パヴィヨンのテラスで踊っていてもベルゲドルフにぶち込まれていても、ぼくにはわかる、ぼくがいるのは牢獄だ。月の下でも太陽の下でも、兵隊になるなんてあり得ない。模範囚になって個室に蓄音機を持ち込んでも、雑居房で雑魚寝してても、囚人を順に殺していく狂った牢獄を祖国とか呼んで身を捧げる奴なんかいるか?お前、お前、お前から逃れるまで、ぼくはお前のことを考える。夜も昼も。    (文庫版229ページ)

 

 この部分を読むと、「エディは敵をきちんと捕捉したんだ、エディがこれからナチス政権と正面切って戦うというマニフェストだ」って思わせる(ぼくは思った)のだけれど、これはじつは作者の仕組んだ読者に対する罠じゃないのかね? 罠といって大げさすぎるなら、けっこう意地の悪いひっかけ問題なんじゃない、と、ぼかぁ思うんだよね。

  それはさておき、エディは断固として志願しなかったのだが、

「強制労働に耐えきれず武装SSに志願してしまい、素行不良がもとでアインザッツグルッペンに配属されてしまった少年」

の小説があったら、どんなものになるだろう。アインザッツグルッペン部隊員の内面を描こうとしたら書き手が病んでしまうかもしれない。

 そもそも、強制収容所を作ったのには、現地で銃殺させているとおかしくなってしまう隊員が出るので、トラックの荷台でのガス殺にしたんだけどやっぱりおかしくなちゃうから、収容所に送って働けないものは処分、働けるものはこき使って死なせる、という流れもあったという覚えがあるから、尋常ではないうえにことに尋常ではないことをしていたのだろう。

 強制労働で足を痛め、従軍不適格となって鑑別所から帰還したエディ。

 この先「スウィングボーイズたちのナチス政権への反抗が始まるんだよね」などと思いつつ読みすすめていったのだが、予測は微妙にずらされていく。

 帰って来たばかりのエディは、父親の工場で働くノイエンガンメから派遣された収容者を見る。

---(前略)ぼやっと突っ立ていた警備兵が、目の前をおぼつかない足取りで通った収容者に難癖を付けて殴り始める。また何かがぼくを捕まえかけるが、どうにか押しやる。ほら、収容者が全員、手を止めただろ。こっちは人数と時間に金払ってんだよ、いらんことすんな、屑。  (文庫版233ページ )

 

 「金払ってんだよ」とエディは考えるのだが、これは逆説的に考えると「金払わなくても良い」のなら収容者の扱いに「関与する筋合いではない」から好きに扱っても構わない、ということになるのではないか。

 金を払っていなければ、無償で派遣されている労働力だったら、親衛隊の警備兵が気まぐれに、働いている収容者の一人を殴ってもいいし、それを見たほかの派遣されている収容者が手を止めてもいいのか?

 父の工場に勤めだしたエディは、工場に派遣されてくる収容者の待遇を改善するためにいろいろと手を回す。単行本で読んだ際には、それは「人道的な配慮」によるものでエディっていいやつだな、と読んでしまったのだが(単純)、どうもこれに人道は全く関係なくて(すこしはあるかもしれない)経済的な理由による行動だ。「人道的な動機による行動」なんて人間はそうそうしないもんだよ、という作者の声が聞こえるようだ。佐藤先生にまたしても騙された感ある。

 中盤のクライマックスであるハンブルク大空襲を契機として、エディの現実への対応の変化が徐々に巧妙に提示されていく。

(たぶんその3につづく)

佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』を文庫版で再読

 単行本で読んだときにはあまりよくわからなかった。そもそもジャズは好きではないし、登場するアーティストでCDを持っているのはジャンゴ・ラインハルトしかないしで「手が合わなかったな」という読後感で終わっていた。

 文庫化にあたっても、初読がそんな印象だったのですぐには購入しなかったのだけれど、解説に期待で11月に買ってみた。まぁなんていうか、ファンクラブの会報みたいな解説なので(あんまりひどいこというなよ)あれなのだが、作品についてはまったくちがう読み方ができたのでつらつら纏めてみたい。

 青春小説も音楽小説もいくらでもあるわけで、パーティーで騒いだりトイレで彼女と事におよんだり、ナチス政権下だからゲシュタポに捕まって灰皿で殴られたりするのが書かれているからなんだというのか。ハンブルク大空襲はもちろん悲劇だが、ドレスデンも焼かれたし、日本中至るところが焼かれたし、今でもシリアではアサド政権やロシア軍が市民の上に爆弾を落としている。

 なぜ主人公は、「第二次大戦下ハンブルクのベアリング工場の反抗的な息子」なのか。

 夏から秋にかけて(ことしは秋はなかったけど)、岩波新書の『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』大木毅を読んだところだった。新書という限られた紙幅の中で、戦争の背景から経緯、ナチスの思想・政策とドイツ国民との関係そのほかわかりやすくまとめられている一冊で、『スウィング』を読むうえでも参考になった。

(前略)ナチ体制は、人種主義などを前面に打ち出し、現実にあった社会的対立を糊塗して、ドイツ人であるだけで他民族に優越しているとのフィクションにより、国民の統合をはかった。しかも、この仮構は軍備拡張と並行して実行された、高い生活水準の保証と社会的勢威の上昇の可能性で裏打ちされていた。(中略)

 とはいえ、ドイツ一国の限られたリソースでは、利によって国民の支持を保つ政策が行き詰まることはいうまでもない。しかし。一九三〇年代前半から第二次世界大戦前半の拡張政策の結果、併合・占領された国々からの〔資源、食料、そして労働力の〕収奪が、ドイツ国民であるがゆえの特権維持を可能とした。換言すれば、ドイツ国民は、ナチ政権の「共犯者」だったのである。(後略) 『独ソ戦』P211から212(〔〕内酔禿) 

  酔禿って字面がいいな。どう読むんだろう、まだはげてないよ。うすいけどね。

 主人公のエディは、会社を守らねばならない父親によりゲシュタポに売られ、ベルゲルドルフ鑑別所に送られる。そしてノイエンガンメ収容所の収容者とともに強制労働に就く。

ぼくたちは雨の中を小一時間かけて歩いていく。スコップを積んだ小型トラックに先導されて畑の真ん中を突っ切ると現場が見えて来る。ばかでかい溝。両側は二段に分かれた斜堤。底に敷かれたレールをトロッコが走る。斜堤にへばり付くようにして何かがうごめいている。人であることは、縁に行くまでわからない。泥の色をした人。雨と泥とで着ている薄っぺらな服が張り付いて裸のように見える。肋まで浮き上がって見える。腹はもっと窪んでいる。手も足も骨の形がそのまま見えそうだ。泥の染みた衣類と同じ色になった裸の首には筋しかない。顎骨の形そのままに浮かび上がった顎が、首の前に下がっている。虚ろな表情のない顔は誰も彼も、ぼくには同じに見える。  (P224) 

 ぼくたちは溝の底で、収容者と一緒に溝の壁を掘る。砂と泥混じりの水を含んだ土はすさまじく重い。トロッコがやってくる。溜まった土を放り込む。へばって、トロッコが行ってしまうと坐り込みそうになる。トロッコの後ろには人が張り付いている。監視兵が、急げ、急げ、と言いながら棍棒を振り回す。時々殴る。鑑別所で看守が持っているようなゴムの棍棒じゃない。嫌な音がする。肉と骨を重い木の棒で殴る音。急げ、急げ。  

(中略)

 昼飯は抜きだ。また壁に戻る。スコップを持って掘る。隣にいた、やせ細って、かろうじて動いていただけ、みたいな奴が壁に倒れかかる。監視兵が飛んで来て、棍棒で殴る。

 人が殺されるのを見たのは、それが初めてだ。 (P225)

(前略)三日目、ぼくは一人だけになっている。晴れると土埃がすごい。ばりばりに乾いた収容者の服には縞模様が浮かび上がり、胸に付けたワッペンの見分けも付くようになる。政治犯と反社会的分子の末路なんて嘘じゃないか。ロシア人。ポーランド人。どこから連れてきたのか知らないけど外国人がほとんど。看守に上から見下ろされながら、ぼくは干からびて固まった泥を延々と掘る。トロッコを押す。死体を運ぶ。(中略)

 

 なあ、これ金の話だっただろ。たっぷり安価に提供される労働力。それをどんどん殺したら意味ないだろ。  (P227)

 

  親衛隊が管理する強制収容所の収容者を、労働力として企業(あるいは自治体など?)にレンタルして利益を得るという構図であるので、収容者は貴重な商品であるはずなのだが、それを消耗品として再生可能でも再生せずに積極的に破棄していく。道理に合わないはなしである。

 これに関して、ティモシー・スナイダーの『ブラックアース』第1章「生存圏」が参考となった。 ヒトラーにとって、ドイツ東方のドイツ民族にとっての「生存圏(レーベンスラウム)」に居住するスラブ民族は、「〔アメリカインディアンのように〕殲滅するか、ヴォルガ川の向こうに追いやるか、〔黒人奴隷のように〕奴隷として使役するか」、のいずれかに該当するものだと規定されたようだ。(〔〕内酔禿)

 「スラブ人は、ご主人様をどうしても必要とする奴隷の集団として生まれている」とヒトラーは記した。 (『ブラックアース』上巻P33)

 ヒトラーはまた、第一次世界大戦以前の西アフリカにおけるドイツの植民地と、その地の住民に対する政策(虐殺といってよいだろうか)を念頭に

(前略)ヒトラーは帝国の歴史すべてと人種主義全体を圧縮してごく短い定式に変えた。「我々にとってのミシシッピ川ヴォルガ川でなければならない。ニジェール川ではないのだ」。(中略)ヨーロッパの東の縁にあたるヴォルガ川が、ヒトラーの想像では、ドイツ国家の範囲であった。ミシシッピ川は、アメリカ合衆国の真ん中を南北に走る川というだけではなかった。トマス・ジェファーソンがすべてのインディアンをその先に追いやろうとした線引きでもあった。  (『ブラックアース』上巻P36)

 

 と記しているようである(孫引きなんですいません)。

  鑑別所の刑期中の労働で足を病み、刑期を終えて帰還したエディは、父親の会社に勤めることになる。傷めた足指のため従軍することはできなくなった。

(以下次回です)

 

 

後玉の曇ったILFORD ADVOCATE & フジ記録用100

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このたびのIYH物件です。

 ローライゾナーといっしょに持っていったフィルムカメラ。まぁ、所謂IYHで入札してしまったもの。ずいぶん小さいのでカメラバッグの端っこにはいるんでRollei Sonnar といっしょに持っていってみました。

 フィルムを現像に出してから気付きましたが、後玉がかなり曇っておりそれ相応の仕上がりでござる。

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 順光なら何とかなるものの

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 ソフトフォーカスのレンズを持っていないのでこのままでも使い道はある。

 この状態を維持するべきや否や。