酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

メルヴィル『白鯨』 棕櫚と椰子

 前回、バショウをシュロと取り違えて書いてしまったのだけれど、そのつながりで「棕櫚」と訳された語について。

 角川文庫版の下巻も入手したので現在手元にある翻訳は5種類。訳の古い順に

阿部知二訳 岩波文庫旧訳版 1956-57年発行(1947年訳を改訳したものらしい)

②田中西二郎訳 新潮文庫版(下巻のみ) 1952年発行1977年改版(2006年にさらに改版となっているようだが、最新の版ではない)

③富田彬訳 角川文庫版(下巻のみ) 1956年発行2015年改版

千石英世訳 講談社文芸文庫版 2000年発行

⑤八木敏雄訳 岩波文庫版(現行版) 2004年発行

1950年代から一気に2000年に飛んでしまうのは、入手の容易さという点から致し方ないとしましょう。時代に差がある分だけ訳にも差があるので却って分かりやすかったかもしれない。

 おもに千石英世訳を読みながら、気になったところがあると他の訳にあたる、という読み方をしているけれども、当然あたった別の訳の方を読みこんじゃって、でさらに気になるところが出て来る、ということもある。そうしてペンギンブックス版を見てみる、といった塩梅。

 翻訳の違いで有名なのは第1章の導入部「Call me Ishmael.」だけれども、残念ながらご予算の都合で新潮・角川は下巻しか入手していないのであしからず。第58章の「Brit」の八木訳は大胆だなと思ったけれども、鳥の祖先が恐竜なのは今は常識、みたいな話かな、と思ってやめときました。

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名古屋市東区 お屋敷の棕櫚の植木

 続く第59章「Squid」章題の訳も①「大烏賊」とか②③「槍烏賊」④「烏賊」⑤「ダイオウイカ」とそれぞれなのだけれども、冒頭部分におもしろいところがあって、

①微風がその竜骨を押しすすめ、四辺は寂としてしずまり、高く聳える三本の先細(さきぼそ)の帆柱は、その懶い微風に答えながら、岸に立つ三本の優しい棕櫚の木のように、ゆるやかに揺らめいていた。

②和やかな風がその竜骨を押し、麗(うら)らかに静もった海の上に、先細に帆を張った三本の高い檣がものうい微風にゆるやかに揺らぐさまは、野原に生えた三本の優しい棕櫚のようであった。  (※静もった 原文ママ

③そよ風が彼女の竜骨を押していたので、三本の高いとんがった帆柱が辺り一帯の静けさの中で、平原のおとなしい三本の棕櫚(しゅろ)の木のようにそのものうげな軟風におとなしくなびいていた。

④柔らかな風に促されて竜骨は海をすべり行き、たおやかにそそり立つピークオッドのマストは、平原に生える柔和な三本の椰子の樹のように静かにたわむ。

⑤おだやかな風にうながされて竜骨はなめらかに海をすべり、あたりを支配するしじまのなかを、船の三本の高いマストは浜辺のやさしいヤシの木のように、ものうげな微風そよかぜに吹かれてゆらゆらとゆれていた。

五つの訳文ともそれぞれ特徴があって優劣をつけるというものではなくて、ここで気になったのは、原文の「Palms」を、50年代の3種の訳では「棕櫚」、新しい訳2種は「椰子」「ヤシ」と訳しているところです。

  ペンギンブックス版を引くと「・・・so that in the surrounding serenity her three tall tapering masuts mildly waved to that launguid breeze, as three mild palms on the plain.」なので、いわゆるヤシの木のことをいっているようなのだけれど、50年代の訳ではあえて「棕櫚」としているのはなぜだろうか(※新しい訳は2種とも「tapering」を無視しているのはなぜだ?)。

 ということで、ウィキペディアのヤシの項を読んでみると、街路樹としてのヤシは1960年代の新婚旅行ブームで多くの観光客が訪れた宮崎県などで植えるようになったのから広まり、日本に自生していたヤシ科はシュロなど6種、というような記載があった。

 もうちょっと調べると、童謡「とんでったバナナ」がNHKの「うたのえほん」で放送され始めたのが1962年だそうで、この歌の2番の歌詞に「やしのこかげの すのなかで」という部分がある。当時、日本中の幼稚園で「やしのこかげとはなにか?」との問いが発せられたのではないか。

 1960年頃以前は、「シュロ」ならばたいていの人が理解できても、「ヤシ」といってはなんのこっちゃだったのかもしれない。

 それからついでに、「サンダーバード」が日本で放送されたのが1966年からで、1番人気のサンダーバード2号が発進する際に、発射台に向かう進路の両脇のヤシの木が一斉に倒れる場面によって、おおかたの日本人に「ヤシ」という樹木が認知されたんじゃないかな、などと思う。

 ここまで書いてあれなんだが、調べる人はちゃんと調べているようで、同じくウィキペディアの「シュロ」の項には以下の記述がありました。

翻訳語としてのシュロ

シュロは日本の温帯地域で古来より親しまれた唯一のヤシ科植物であったため、明治以降、海外の著作に見られる本来はシュロとは異なるヤシ科植物を「シュロ」と翻訳していることが、しばしば認められる。特にキリスト教圏で聖書に多く記述されるナツメヤシがシュロと翻訳されることが多かった。例えば『ヨハネによる福音書』12章13節において、エルサレムに入るイエス・キリストを迎える人々が持っていたものは、新共同訳聖書では「なつめやしの枝」になっているが、口語訳聖書では「しゅろの枝」と翻訳し、この日を「棕櫚の主日」と呼ぶことがある。

 

 この際なのでさらに棕櫚つながりでいうと、ウィリアム・フォークナーに『野生の棕櫚 The Wild Palms』という作品がある。1927年のミシシッピ大洪水を舞台にした作品で、トム・フランクリンとベス・アン・フェンリィの「彼の両手がずっと待っていたもの」にきっと大きな影響を与えている作品だろうと想像できる。いずれ古本を入手して読んでみたいと思う。でこの作、新訳が出たとしたら表題は『ワイルド パーム』になるんじゃなかろうか。『野生のヤシ』では語呂が悪すぎますよね。

 次回は(次回あるのか?)「Palm」という語を、④では「椰子」と訳しているのに対し、⑤では敢えて「棕櫚」としているところについて考えてみたいと思っております。

 

2021/10/16 千石先生の表記が間違っていたので訂正しました