酔頭禿筆日記 sioux_pu’s diary

現像ソフトも編集ソフトもない撮ってだしです。というのもどうかな、と最近思っています。

メルヴィル『白鯨』 日本語訳を比較してみたい

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 以前、うえの棕櫚 (※9/16やだこれ芭蕉じゃないですか) を撮ったときに『白鯨』の最後の部分を連想したことを書いた。

 沈みゆくピークォド号、そのメインマストの最上部に登っていたタシュテゴはなおも旗をマストに打ち付けようとしている。ちょうど棕櫚の天辺には、旗のように三角の形に葉が残り風に靡いているかのようだ。最期を迎えるタシュテゴが振るったハンマーに、天から降りてきた鷹が翼をはさまれ、船の道連れとなって沈んでいく。

 その場面を思い出し、一人で盛り上がって帰宅、で、岩波文庫の八木敏雄新訳版『白鯨』をひっぱりだしてそこを読み直してみたのだった。

 しかし、これが思っていたほど劇的ではなかったのである。なぜだろう?

 ぼくが『白鯨』を初めて読んだのは高校2年生の頃、岩波文庫阿部知二訳の版だった。上・中・下の3分冊で、学校帰りに浜松市は谷島屋書店の本店によって買ったんだと思う。星3つで一冊300円。

 それをいまだに持っている。浜松を出てから川崎市多摩区登戸、世田谷区宮坂、板橋区坂下、岐阜県関市は小迫間から桜台、名古屋市西区市場木町の2件のアパートを経てようやく名古屋市中川区八田に定着したのだが、この阿部訳版『白鯨』だけはその40年のあいだずっと持ってきたのである。なくしてしまわなかったのは、偶に読み返していたからだろう。

 一方の八木新訳版を購入したのはおそらく2012年頃、文春新書の『書評家<狐>の読書遺産』(山村修著)で紹介されていたのと、実際に本屋さんで立ち読みをしたら挿絵の量がずいぶん豊富で挿絵見たさもあって入手した。読みやすいし注は詳細だし解説は研究論文みたいで「参考になるなあ」くらいの感想で、新旧訳の違いとかは全然考えずに読んだのだった。

 なにせ大学に入って以降、特に就職してからはおおかた毎日酒を飲んでいた都合上、読んだと言ったところで読書と呼べるような代物じゃないし、高校時代には字面を追いかけるので精一杯だったから、阿部版にしろ八木版にしろ部分部分で印象に残っている場面はあっても、中身まで辿り着いてはいなかったわけです。ましてや両者を比較する、なんてのにはまったくもって至っていなかった。

 ところがお酒をやめるというのは大変なことですな、「どうも記憶と印象が違う」ということに気がついてしまう訳ですから。酔っていたら絶対に読み流していたはずだ。

 そこで、もう少し読み込んで比較してみたところ、興味深い部分が結構出てきた。ならば、と講談社文芸文庫版上・下、新潮文庫版下(※古本)も入手して比較してみました。するとますます面白かったので、何か所か取り上げてみたいと思う。まあ次回からなんですけどね。それまでには角川文庫版も用意しておきたいと思っております。

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なぜかうちに1992年版のペンギンブックスもあって、これが役に立ちました、英語できないけど。